ひと息ばなし

column

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2011.04.02

がんばろう!ニッポン!

皆さんは3/11の東日本大地震のとき、どこにいらっしゃいましたか。
何をされていましたか。
こんなことが、我がニッポンに起きるなんて信じられません。
あの経験もしたことがないような揺れに、胸が高鳴って、すぐTVを付けました。
信じられないような津波が街を飲み込み、「早く、早く!車の向きを変えて!」
と海の方角に向かっていく車に叫ぶ私、つまみ上げて助けてあげたいのに
見ているだけのもどかしさ、ああ、大変なことが起きているんだと、釘づけになっている私がおりました。被害の大きな南三陸町は、3回ほど訪れたことがあります。
実は、平成14年に21歳の若さで交通事故で亡くなった社員の故郷なのです。現在は、ご両親と妹さんと、おばあさんがおられるのです。
すぐ、ご両親の携帯やご自宅に電話をいれましたが連絡がつきません。
三陸町の半数が亡くなったり、行方不明とのことで、心配でたまりません。
どのようにしたら安否がわかるのだろうか。被災者の名簿をインターネットで検索したり、避難場所の映像を食い入るようにみていましたが見つかりません。
しばらくして、インターネットで三陸町の安否情報というページがありました。すぐ、そこへ「情報を求める」と書き込みをして、毎日、時間があると書き込みを見ましたが、情報が入りません。しばらくして、与える情報が少ないのではないのかと考え、亡くなった社員の名前を追加書き込みいたしました。
何日も経ち、25日の夕方、お母さんの携帯が通じ、お声をきくことができ、私は涙がでました。話によると、全員を車に乗せて公民館へ行き、そこでも危ないと言われ大きな施設に避難しましたが、そこも危なくなり、結構、高台にある親戚の家に身を寄せているとのことでした。やはり、自宅は流されて全損です。現在停電状態とのことです。
とにかく、ガソリンが欲しいとのことでしたので、さっそくガソリンを入れる缶を探しましたが、完売されていてありませんでした。物資を送ろうと配送を確認したところ、ヤマト運輸の支店が残っており、10日以上かかり、支店に到着後、取に来てもらうことになるといわれましたが、差し入れを荷造りして送りました。しばらくして私の携帯がなりました。電話の相手は、亡くなったY君の友人でした。
「もしもし、僕はなくなったY君の友人です、インタ-ネットでY君の家族のことを探していたところ、友達がみてインタ-ネットにあなたの携帯番号が書かれてあったことを教えてくれました。僕は岩手県ですが、Y君の家族のことが心配です、情報があったら教えてください…」ああ、みんな、みんなどこかで繋がっているんだなぁとつくづく思いました。
宮城県に義援金を送りました。がんばろう ニッポン!

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